Mô tả sản phẩm
再興九谷 文政9年 1826…1831 吉田屋 山代越中谷 花鳥紋 飾大徳利 27cm
線描きのはやさ、且つ適度の重厚感、全体の品格 力強さが魅力的な素晴らしい作品です!
全体に細かな貫入があります。
桐箱付き
九谷焼の始まりは江戸時代前期でした。
起業したのは初代藩主・前田利治で、陶石を発見した鋳金師の藩士・後藤才次郎が中心となって操業します。
しかし、九谷焼がつくられた期間は明暦元年(1655)頃から宝永7年(1710)頃まででした。
わずか50年余りで突然消えた理由は今もわかっていません。この期間に焼成された焼物が、現在「古九谷」と呼ばれるものです。
それから100年ほどして、瀬戸での磁器生産の成功に触発され、九谷焼を復活させようとする動きが出てきました。
大聖寺藩領内の豪商・豊田家(屋号は吉田屋)の四代伝右衛門が古九谷の復興を志し、文政6年(1823)に九谷村の九谷古窯跡の隣に窯をつくります。
翌年に焚いた初窯は、古九谷が廃窯されてから120年もの歳月が流れていました。
その後、文政9年(1826)に、山代に窯を移します。
吉田屋窯は再興九谷と呼ばれ、山代で焼かれた九谷焼もこの流れを汲むものです。
吉田屋伝右衛門が目指した九谷焼は古九谷の中でも、「青手」で
青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式のもので、絵も江戸後期としては非常に珍しく大胆な意匠。
手作り、手描きの手間ひまを惜しまないものであった。
図柄の奇抜なものが多く、近代の絵画のような印象を受ける。
モチーフを強調する大胆な構図、厚く盛り上げられた濃厚な色彩の上絵の具、
その下にびっしりと描き込まれた地文(本作品の場合 雲紋)が、作品に躍動感を与え、古九谷様式の魅力を称えている。
吉田屋の上絵を支える素地作りは、本多清兵衛が主工として担当したとされます。
若杉窯を支えた本多貞吉の養子。源右衛門や丈助と同じく、若杉窯ゆかりの陶工です。
素地自体は灰色。厚手の素地の塗り埋め作品に多い、いわゆる「鼠素地」です。
透明釉がかかった白地部分がマットな(艶のない)感じで、細かい貫入が見られるのもこのタイプの特徴。
こういう素地は、山代に移ってから作られ始めたのでしょう。
――-九谷焼資料より
胴径:15cm 高さ:27cm